脳汁ドバドバどーぱみんっ

ちっぽけな青年による稚拙な文言

某牛丼チェーン店の卓上にあるドレッシング

僕は最近健康志向に目覚め、某牛丼チェーン店にいくときは必ずあたま大盛りのサラダセットにしてタンパク質と野菜を取りつつ炭水化物を抑えています。(←気にしてるくらいなら松屋行くな、雑草食ってろ)

この前もいつものようにサラダを頼み、なんら考えもせずに自然に卓上のドレッシングを取りサラダにかけ食べ始めました。しかし二口ぐらい食べてからふと『...このドレッシングって本当に衛生的に管理されているのか???』と思ってしまいました。これほんとにきれい???、中身かえてんのかな???とか考えれば考えるほど食欲は減衰します。そこである一定の結論を得てから食べようと思考を巡らせました。

注)今回はドレッシングそのもの→店員の管理→客の民度という流れで考えました。

 

まずドレッシングそのものについて。ここは言わずもがな日本を代表する牛丼チェーン店、質にはこだわりをもっていると考えられその効力発揮範囲はメインの牛丼だけではなくサイドメニューのサラダにも及んでいると考えるのが自然。つまりドレシッングそのものは(味が自分に合っているかはさておき)衛生的には問題はないと言えます。ここが揺らいでくるともう僕の心はオレンジ色の看板、そう吉○家に吸い込まれてしまいます。競合状態では少しの差でなびいてしまいますからね、こういうときにミクロ経済学が役立ちます。ありがとうケインズ(適当)。

次に店員の管理。ここは先ほどのようにすんなりとは通過できません。昨今の人手不足の煽りを受け都心の店員はほとんど外国人労働者です。別に僕は国粋主義者でもなくナショナリズムに感化された世間的に怪しい人間ではないので外国人一般に対して不信感や低脳だと偏見を持っているわけではないことを先に言っておきます、、が、お世辞にもここに限らず飲食チェーン店一般の外国人店員はレベルが高いとは言えません。各国によって"衛生管理"の水準や認識は全くことなるということは義務教育で誰もが教えられるように店員さんがちゃんとキレイキレイと思ってドレッシングを容器に注いでいても実は一般日本人にとっては汚れたままの容器だったみたいなことは十分あり得ます。うーんこの時点で既に卓上ドレッシングに対する不信感が募ります。ですが日本的のマニュアルを徹底した新人指導を奥の部屋で書類と格闘している店長がきちんと実施していると信じて次の思考ステップへ。

一番の壁、客の民度。牛丼屋というだけあって中央区や港区のOLなんて店内にいません。いるのは貧乏学生と肉体労働者、くたびれたスーツのサラリーマン、そして社会不適合してそうなフケだらけのにいちゃんです。もうこの時点でこの空間にいるのが耐えられなくなりそうです。なぜ今まで普通に来れていたのか疑問を抱かざるをえない、もっと考えて店を選べよ。と、自分に対して怒りが沸き起こりますがしようがありません、だって牛丼美味しいし安いもん。

さすがにドレッシング容器を舐め回したりする輩はいないと信じたいですが、対して洗ってもいない手でベタベタ容器を触るおっさんがいることは十分あり得ます。信頼区間55%でも棄却できる仮説検定みたいなもんです。そんな容器を僕も触りその手のまま牛丼を食べ帰る、き、き、気持ち悪い、、、

 

結局以上の思考によりサラダを食べるのはあまり物理的衛生的にも精神衛生的にもよろしくないと思ってしまい残して退店してしまいました。帰り道あることに気がつきます。食べ物とそれに付随してお金を粗末に扱っている自分は軽蔑した汚いおっさんどもより社会的に高価値なのか、と、、、

“Beware that, when fighting monsters, you yourself do not become a monster… for when you gaze long into the abyss. The abyss gazes also into you.”というニーチェの言葉にあるように僕が汚いおっさんと思っている人も僕のことをきたねえ青年だと思い食欲を失っていると考えることもまた自然であります。うーんこの世界は難しい。

 

まあ結論としては深く考えずに貧乏な若者らしく牛丼屋にこれからもいきただ淡々と不健康な栄養摂取しますよってことです。少し考えるだけで生きづらい世の中だなぁ、、、そう思いながらSiMのこの曲を聞き帰りました。『Life is Beautiful』、、そう、"All you need is love"なんだよ、おっさんへの愛を持とう、いつか自分もそうなるんだから、、、