脳汁ドバドバどーぱみんっ

ちっぽけな青年による稚拙な文言

『友だち幻想(菅野仁)』 感想

 あいも変わらず寝れない秋も夜長って感じなので最近読んだ本の感想を書きます。

 

今回はこの本↓

友だち幻想 (ちくまプリマー新書)

友だち幻想 (ちくまプリマー新書)

 

 社会学者である筆者が他者との付き合い方について中高校生向けのシリーズであるちくまプリマー新書から出版した本です。友だちや親族とのつきあいに悩んでる人にとって為になるとか書評にはよく書かれています。

かくいう僕が家族・友人関係について悩んでいるという訳では全くないのですが、世間一般の中高生、ひいては大人はどのように考えているのかなぁというのを知れたらとか思ったのと父親の積ん読にあったこと、そしてそんなに厚くなかったのでチャチャっと数日で読みました。

本の要旨としては

  • 所詮周りの人は他者
  • みんなと仲良くする必要はない
  • 楽に生きろ

という割とペラペラな内容をくどくどと述べ、ところどころ専門的な心理学・社会学的な言説を展開するというなかなか読み応えのないものでしたが中高生向けなことを考えると文句を言う訳にもいきません。やんぬるかな。まあ軽く読みたいってときにはいいのかなって感じです。

 

しかしこれで終わっては面白くないので僕が思う"友達"について書きたいと思います。

 

そもそも友達とは何でしょう。ただの他人との違いは?他人から友達が生じるとすればその変化のタイミングは?...とかとか小難しい事を考え始めるとキリがない、こういうことは専門家にお願いしたいですが、頑張って考えてみます。

前提として自分は若干20そこらの経験不足な人間だという事を留意していただきたい

まず友達を分類したいと思います。みんな大好きグルーピング

1.集団形成において半ば自動的に作られる友達関係

これは例えば学校のクラス、部活の同期等々でよく見られる形ですかね。長期的な関係を結ぶ事からその期間の自分の幸福度をあげるため、有益にすごすために作られる友達だと(軽くは)定義できると思います。いわば友達でいることでコミュニティという媒体を通じ価値が造成される、そんな関係。

思い返せば自分の20数年の人生でできた友達のほとんどはこのタイプでざっと頭に浮かぶ友達は学校の同級生かクラブとかそこらへんが多いです。僕以外の人もだいたいそうだと思うのでいかに自分が育つ環境が自分自身に影響を与えるか、考えられます(いつか自分は何によって決まるのかみたいな話を書けたらと思います)。しかしこのタイプの友達の多くはその属するコミュニティから離れると自然に関係が薄くなる傾向にあると思います。クラスで一緒だったときには一緒にゲームをしご飯を食べに行っていてもクラスが解散したのちは滅多に会わなくなるそんなことも多いかと。まあ自分のために付き合っていたとも言える"友達"ならしようがないですね。無常無常。

 

2.能動的に(or受動的に)作られる友達関係

この場合は例えばライブ会場や合コンで会ったときに意気投合して友達になるパターンです。合コンという基本的数時間だけ持続するコミュニティにおいて(ワンチャン狙っていないという仮定のもとでは)できる友達というのは純粋に話して楽しい、趣味が合う等々友達でいることにより生じる価値がその人そのものであると言えます。この"友達" を形成するのはなかなか困難だと個人的には思いますが、自分の数少ないコミュニティを異としている友人は揃いも揃って大好きなので大切な存在です。たくさん欲しい、そんな友達。

 

あたかも1の方の友達は希薄で利益目的だ見たいな書き方をしてしまいましたがもちろん芯から仲良い友達もいます。UVERworldのMONDO PIECEみたいに今いる仲間と10年20年たっても一緒に痛いみたいな関係もあると思います。あと別に合コンしまくれみたいなことでもありません。

言いたいことはあるコミュニティ内で友達関係について悩むのは仕様もないってことです。所詮コミュニティなんて数年で解散or薄れていくものだと思ってるので多少うまくいかないくらいなら自分に合わなかったんだなみたいに軽く捉えて他のコミュニティ探すか一人で好きなことやってる方がいいと思います。

自分自身が友達関係で悩んだことは思い返せる限りでは一度もないのもコミュニティというものを他の人たちよりは軽く考えているおかげかなとか思います。そのせいかわかりませんが友達が少ない、所属していると声をはって言えるコミュニティが少ない、、、誰か友達になってください

 

こんな感じで読んだ本に絡めて稚拙でまとまってない文をつけてコメントしていきたいと思ってます。

では。